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森見登美彦『太陽の塔』感想と解説|デビュー作にして森見妄想青春文学の完成品

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『太陽の塔』森見登美彦(森見本全冊レビュー、1冊目)

第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞(受賞時タイトル『太陽の塔/ピレネーの城』)。

デビュー作にして、森見文学宇宙の特異点かつビッグバン。恋に不自由な腐れ大学生たちのグツグツ煮えたぎる妄想青春物語。ああ、やるせない。しかし、妄想がすべて救ってくれる…のか?森見作品をすべて読了した結果偏った主観を交えて『太陽の塔』をご紹介します。これから読む人のために、ネタバレはしません。

『太陽の塔』森見登美彦
文庫:237ページ
新潮社 (2006/6/1)

著:森見登美彦
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▼森見登美彦全冊レビューへ向けて2作目『四畳半神話大系』

目次

森見登美彦『太陽の塔』あらすじ

私の大学生活には華がない。特に女性とは絶望的に縁がない。三回生の時、水尾さんという恋人ができた。毎日が愉快だった。しかし水尾さんはあろうことか、この私を振ったのであった!クリスマスの嵐が吹き荒れる京の都、巨大な妄想力の他に何も持たぬ男が無闇に疾走する。失恋を経験したすべての男たちとこれから失恋する予定の人に捧ぐ、日本ファンタジーノベル大賞受賞作。

「BOOK」データベース

上のあらすじを読んで、「これってファンタジーなの…?」と感じる方。鋭い。

森見登美彦は「妄想文学の達人」とでも言えるような作風の持ち主で、このデビュー作以降、多くが京都を舞台に、現実の中に濃厚な妄想ヘリウムガスを注入してパンパンに膨れ上がらせたかのような物語を生み出すことになります。

要するに、「森見登美彦作品のファンタジー=妄想」と言い換えて差し支えない。むしろ現実感溢れる中に立ち込める濃霧のような妄想は、並のファンタジー作品とは少し角度は異なるものの、十二分にファンタジックな感覚を味わうことができるでしょう。

…ただ、なんだよ「あらすじ」とか言ってコピペかよ!と思われた方のために少しだけ補足すると(ここは読み飛ばしても良いです。さほどネタバレはしないけど)、

休学中の五回生である京都の大学生「わたし」が、失恋した水尾さんに対して「水尾さん研究」と称するゴリッゴリのストーカー行為を働く傍ら、わたしもそのメンバーの一角である腐れ大学生の「四天王」、鋼鉄製の髭にまみれた心優しき巨人「高藪智尚」、法界悋気の権化「井戸浩平」、凝ったうんこをする羊の話をする「飾磨大輝」と日々人生へのふつふつとした思いを論じている。「水尾さん研究」の途中、水尾さんにつきまとう謎の男と出会うわたし。水尾さんを守るのはこのわたしだ!と犬も食わない泥仕合を繰り広げる。私の自転車の愛車は「まなみ号」。わたしの煮える思いをあざ笑うかのように見下ろす「太陽の塔」の圧倒的な存在。そしてクリスマスは近づき物語は鴨川へ…

…という感じです。超大雑把ですが。

森見登美彦『太陽の塔』読了ツイート

森見登美彦『太陽の塔』3つの読み方

本作の見どころを3つにまとめました。

  • 非常に「デビュー作」らしい、溜まりに溜まった初期衝動
  • とても「デビュー作」らしくない、完成された森見文学の文体
  • 欲望と鬱屈と世界に対する巨大なコンプレックスの象徴としての「太陽の塔」と「ジョニー」

では1つ目から解説します。

1.森見登美彦『太陽の塔』は、非常にデビュー作らしい初期衝動に満ちている

世の中には「これがデビュー作だなんて信じられない!」とびっくりさせられる作品がある。

澤村伊智『ぼぎわんが、来る』、辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』、伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』、舞城王太郎『煙か土か食い物』などなど、

森見登美彦のデビュー作である『太陽の塔』はどうか?

これがある意味ではめちゃめちゃデビュー作っぽく、ある意味ではこれがデビュー作だなんて、まったくもって信じられない。

「デビュー作っぽい」と言う理由は、とにかくマグマの如く溜まりに溜まったコンプレックスや衝動がそこかしこに噴きこぼれていると言うこと。こぼしてもいいけど、テーブルくらい、拭いていってくれ!!!

「世に迎合せず克己心に満ち溢れた俺であるのに」なぜかまったくうまくいかない恋路。愛しのあの子への燃え滾る想い。リア充どもが繰り広げるクリスマスファシズムや、バカップルが男・女・男・女…といちゃつき並ぶ「鴨川等間隔の法則」への苛立ちと抵抗。そして、圧倒的「無力」。

この煮え湯の様なエネルギーたるや、付け焼き刃のレッドブルやマムシドリンクなどでは到底チャージできる代物ではない。それほどギラついた作品である。

だからこそ、腹の底から笑えて、心の底から気持ち悪い、阿呆で歪んだ青春物語になっている。

なんだか、ものすごく憤っている。
得体の知れない巨大な何かに、憤っている。
腐れ大学生時代のあの「満たされないモヤモヤ」がそこかしこに満ち満ちているあの感じ。

『太陽の塔』を漢字一文字で表すと「憤」。ものすごく「憤」です。

2.森見登美彦『太陽の塔』は、デビュー作らしからぬ「完成された文体」がある

また反対に、「全然デビュー作っぽくない」理由は、処女作にして既に独自の「森見文体」が完成していることだ。

少し古風で、
かなり頑固で、
とことんユニーク。
しかもクソ真面目であり、
あろうことか回りくどい。

実はこれが病みつきになるのだが…でも「森見登美彦は読みにくい、クセがすごいんじゃ!」と言う人も多いと聞く。それはそうだろう。あえてそちらのルートに一生懸命突き進んでいるのだから。

日本文学を愛する森見登美彦の国語力は深く、それ故に繰り出される文章もとても濃い。

そして今後森見作品を語る上で欠かせないキーワード「腐れ大学生」達は、本作で既に所狭しと躍動しています。

クセの強い名言・迷言は後述。

3.森見登美彦『太陽の塔』に登場する、圧倒的コンプレックスの象徴としての「太陽の塔」と「ジョニー」

『太陽の塔』にはやはり、太陽の塔が登場する。

この太陽の塔は、主人公の卑屈で巨大で鬱屈とした、満たされないコンプレックスの象徴として作品内に聳え立つ。

「つねに新鮮だ」
そんな優雅な言葉では足りない。つねに異様で、つねに恐ろしく、つねに偉大で、つねに何かがおかしい。何度も訪れるたびに、慣れるどころか、ますます怖くなる。太陽の塔が視界に入ってくるまで待つことが、たまらなく不安になる。その不安が裏切られることはない。いざ見れば、きっと前回より大きな違和感があなたを襲うからだ。太陽の塔は、見るたびに大きくなるだろう。決して小さくはならないのである。

誰に救ってもらおうという訳でもない。救うのは、自分自身だからだ。

こんなに努力している気になっている私が、救われない訳がない。報われない訳がない。

フラれたなんて、嘘だ。これはあれだ。まやかしだ。ドッキリだ。目を覚ませば、「ドッキリ大成功~♡」と彼女が私をハグしてくれるはずだ。そうしたら、複雑な表情をしながら思いっきりハグし返してやるんだ。そうだ。自分は正しい。だから、きっとそうだ。そうだ…

…でも、自信がない。そんなよくわからないけど、とにかく全力で後ろ向きに煮えたぎった青春を塗りたくっているのが本作の特徴です。個人的には共感せざるを得ないシロモノであった。

冒頭の2行で、読者は「ああ、これはただならない作品に出逢ってしまったな」と確信することだろう。

「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。

なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」

この完全に間違っている感じ、けれどあまりに自信たっぷりなので「そっとしておいてやろう…」と見守りたくなる危なげな感じ。

この絶妙なキワキワのバランスが、本作全編を通してまんべんなく遺憾なく発揮されている。
そして、ジョニー。

太陽の塔が、自分の欲望・劣等感・鬱屈したコンプレックスをあざ笑うかのように見下ろす「私を俯瞰する上位の存在」だとすると、ジョニーとは「自分の欲望」そのもの。率直に言うと男のシンボルなのだが、どうもそれだけではなく、意志を持つ「考える性器」なのだと思う。うーん哲学的。

しかし、若かりし頃からモテモテでイケイケでリアリアで陽陽だった諸兄以外は、このジョニーをいかに紳士的に制御するべきなのかで散々苦労した経験をお持ちだと思う。共感しないやつは友達じゃねぇ!勝手にモテてやがれ!!

「みんなが不幸になれば、僕は相対的に幸せになる」

このジョニーに対する「わたし」の苦悩をぜひ、本作を読み感じ、心で泣いてほしい。

以上である。

森見登美彦『太陽の塔』の名言・迷言・好きなフレーズ

「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」

私の経験から言えば、いったん濃くなった体臭は二度と元には戻らない。

良薬とはつねに苦いものである。ただし、苦いからと言って良薬である保証はどこにもない。毒薬もまた苦いのだ。

私にとって彼女は断じて恋の対象などではなく、私の人生の中で固有の地位を占めた一つの謎と言うことができた。その謎に興味を持つことは知的人間として当然である。

どんなことを為すにしても、誇りを持たずに行われる行為ほど愚劣なものはない。ひるがえって言えば、誇りさえ確保することができればどんな無意味な行為も崇高なものとなり得る。自己嫌悪や他社の視線に足をとられている行為には、何の価値もないと断言しよう。振り返るな。足下を見るな。ただ顎を上げて営々と前進せよ。

街を怪物が闊歩している……クリスマスという怪物が……

「役に立たないものに賭ける人生もある」

「夢なくしちまったよ、俺」

「無論だ。彼らは根本的に間違っている」「なぜなら、我々が間違っていることなど有り得ないからだ。そして、間違いはつねに正されねばならん」

私は視線の源を探したが、どこまでも桃色の迷宮が続いているばかりで、その視線の正体は分からなかった。

ともかく、我々の日常の大半は、そのように豊かで過酷な妄想によって成り立っていた。かつて飾磨はこう言った。「我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている」

この世の中で何が屈辱と言って、変態に変態呼ばわりされることほど屈辱的なことはないと断言できる。

「つねに新鮮だ」
そんな優雅な言葉では足りない。つねに異様で、つねに恐ろしく、つねに偉大で、つねに何かがおかしい。何度も訪れるたびに、慣れるどころか、ますます怖くなる。太陽の塔が視界に入ってくるまで待つことが、たまらなく不安になる。その不安が裏切られることはない。いざ見れば、きっと前回より大きな違和感があなたを襲うからだ。太陽の塔は、見るたびに大きくなるだろう。決して小さくはならないのである。

「凄いです。これは宇宙遺産に指定されるべきです」

「みんなが不幸になれば、僕は相対的に幸せになる」

「そうそういつも役に立つことばかり喋れん。だが、それにしても、この壮大な無駄は何なのだろうな。何かこう、罪深いよな。」「それが我々の戦いであった」

「夜明けじゃなくても痛々しい。生きてるだけで痛々しい」

「これは俺のゴンドラ」

「もし、何か予定があるなら、俺はいいぞ。俺一人でもやるからな」「私を見損なうな」

「脳味噌から指先はどうしてこんなに遠いのかな。動けという信号がどうやっても伝わらない」

満天下に蠢く、腕を組んだ男女たちに言いたい。「生きよ、(けれども少しは)恥じよ」と。

おわりに:作品名を曖昧に変換

『VS上から目線』

さしずめ、宇宙的上から目線の巨大な存在「太陽の塔」と、平凡矮小卑屈大学生の「私」の唯我独尊な上から目線の頂上決戦とでもいうべき作品でしょう…

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

(森見本全冊レビュー、1冊目)

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